2009年07月03日

新設された海上保安庁への旧日本海軍幹部

新設された海上保安庁への旧日本海軍幹部の入庁は、海軍幹部が公職から追放されていたため、航路啓開(掃海)部門等を除いて基本的になかった。代わって、警察機構を有していた旧内務省出身者、警察官や海事の専門家として高等商船学校出身者が多く入庁した。高等商船学校出身者は大戦中、海軍予備員として応召し士官として海軍に属していたが、海軍兵学校出身の現役将校等に比べて、激戦地において、過酷な輸送任務を強いられたため、多大な戦死者を出していた。そのため商船学校出身者と旧海軍軍人の派閥は、極めて険悪な状態が長らく続いていたといわれていた。
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警備業務:海に関わる犯罪捜査、警備などの海の公安警察・警備警察としての業務(領海警備を含む)
救難業務:海難救助、離島の急患搬送、船舶の消火、汚染防止など、海の消防機関としての業務
海洋情報業務:海図の作成、潮流の測定、防災のための海底火山・海底断層の調査など、海の測量機関としての業務
交通業務:灯台の設置・管理、航行支援システムなど、海の交通警察・海事情報提供機関としての業務
などを所管する。設置根拠は国家行政組織法第3条第2項及び海上保安庁法第1条、なお、警備業務等を円滑に実施するため、海上保安官は海上保安法第31条、刑事訴訟法第190条により特別司法警察職員と規定されている。
また、創設当時の海上保安庁(保安局)は、当分の間旧海軍艦船の保管に関する事務を掌るものとされていた[1]。

2009年06月13日

腐敗(ふはい)とは腐敗細菌

腐敗(ふはい)とは腐敗細菌、真菌、酵母など微生物によってタンパク質などの窒素を含んだ有機物が分解されること。通俗的には腐る(くさる)という。ただし分解によって、人間に都合のよい物質が生じる場合は発酵といわれる。
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腐敗物には腐敗アミン(インドール、ケトン)などが生成分解するため独特の臭気(主に硫化水素やアンモニアなどによる悪臭)を放つ。また、腐敗によって増殖した微生物が病原性のものであった場合には有毒物質を生じ、食中毒の原因ともなる。腐敗の具体的内容は多岐にわたり、元の材料、その置かれた温度、水分などの条件によって様々に変化する。これは、基質と条件によって働く微生物が異なるのが大きな原因である。

腐敗の判定には化学的判定、物理的判定について研究されている。

腐敗をもたらす原因となる微生物のことを腐敗微生物と呼ぶ。その中でも細菌の場合を腐敗細菌と呼ぶ。 腐敗細菌(Food spoilage bacteria)はあらゆるところに棲息している。

発酵食品 [編集]
腐敗過程の結果によって、ヒトの生活、特に食生活に役立つものが生じる場合、これを特に発酵と呼んでいる。発酵によって生じる食品を発酵食品と呼ぶ。

他の用法 [編集]
腐敗および腐るという言葉は、本来有機物が分解されるさまを表現した言葉であるが、この現象は視覚的および感覚的に醜い状態へ変貌するというイメージを受ける。この醜い状態へ変貌するさまを精神的に堕落して悪がはびこるさまに喩えて、しばしば人や組織、政治、業界などの社会的要素で起こる悪質な体制や性質が半ば慢性化している状態に対してこの言葉が使われる。

2009年06月09日

感染症専門医(かんせんしょうせんもんい)

感染症専門医(かんせんしょうせんもんい)とは、日本感染症学会が運営する専門医資格の一つである。

医師の内、規定学会の単位および試験に合格した者に専門医資格が付与される。

この資格は、更新制(5年)である為、取得後に単位(専門学会発表や論文執筆、講演会・勉強会参加などにて単位取得できる)を取得しなくてはならない。

なお、院内感染など臨床現場における感染制御を専門とするインフェクションコントロールドクター(Infection Control Doctor:ICD)とは別の専門資格である。
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その他の感染症対策専門資格および組織 [編集]
インフェクションコントロールドクター(ICD)
感染制御専門薬剤師(ICPM)
感染管理看護師(ICN)
感染管理歯科衛生士(ICDH)
感染制御認定臨床微生物検査技師(ICMT)
感染管理介護福祉士(ICCW)
滅菌技士(第一種・第二種)
医療環境管理士
院内感染対策チーム(感染制御チーム・感染対策チーム)
院内感染対策委員会(感染制御委員会・感染対策委員会)

2009年04月25日

1848年の諸革命

1848年までのおよそ10年間、「東方問題」は平穏に推移した。この間、フランスとオーストリアは自国内の混乱を収拾するのに忙しかった。ロシアは「東方問題」に介入する絶好の機会にあるように思われたが、実際にはオーストリアの反革命を支援するために出兵しただけで、「東方」には介入しなかった。ロシアはオーストリア政府を支持することで、将来オスマン帝国の領土を分割する機会が訪れたときに、オーストリアをはじめとする列強の支持が得られることを期待していた。

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オーストリアでの1848年革命がロシアの協力によって鎮圧されると、コッシュート・ラヨシュをはじめとするオーストリアにとっての「反逆者」たちがオスマン帝国へ次々と亡命した。これに対し、オーストリアは亡命者の引き渡しを要求したが、オスマン皇帝は要求を拒絶した。憤慨したオーストリア・ロシアは大使を召還し、両国とオスマン帝国の戦争が差し迫る状況になったが、ただちにイギリスとフランスが介入してオスマン帝国に艦隊を送って支援したため、両国は勝機を失ったと考えて要求を撤回した。

1850年代に些細な宗教論争によって、新たな対立が生じた。18世紀に結ばれた協定によれば、ロシアがオスマン帝国内の正教徒の保護者であったと同様に、フランスもオスマン帝国内のカトリック教徒を保護する権利を有していた。
そのため数年間にわたり生誕教会と聖墳墓教会の管理を巡って正教徒とカトリック教徒の間で論争がおこなわれていた。1850年代の初めに両者はオスマン皇帝に判定を求めた結果、1853年オスマン皇帝は正教側の猛烈な反対を押し切ってカトリック教徒側を支持する判定を下した。

ニコライ1世はメンシコフ王子に特命を与えてオスマン帝国政府へ急派し、最初に「帝国内の全てのキリスト教徒と教会を保護する」ことを約束させる条約を締結した。さらにメンシコフは「ロシアがオスマン皇帝のキリスト教徒保護が不十分と判断した際はオスマン帝国に干渉することを認める」という新しい条約を締結しようと試みたが、その要求を知ったイギリスの外交官ストラットフォード・カニング(初代ストラットフォード子爵)が巧みな外交を展開し、この条約がオスマン帝国の独立を脅かすと説得したことにより、オスマン皇帝は条約を拒絶した。

メンシコフの外交交渉が失敗に終わったことを知ったニコライ1世は、聖墳墓教会の問題を持ち出して、モルダヴィアとワラキアに進軍した。ニコライ1世は、1848年の革命の鎮圧に協力したのだから、ロシアが隣接するオスマン帝国支配下の2,3の州を併合することにヨーロッパ諸国は反対するまいと考えていた。

しかし、ロシアがモルダヴィアとワラキアへ派兵すると、オスマン帝国の保全を望むイギリスは、フランスの艦隊によりロシアに封鎖されることなく維持されていたダーダネルス海峡へ艦隊を派遣した。ヨーロッパの勢力は当時外交的な解決を望んでいたので、イギリス・フランス・オーストリア・プロイセン4国はウィーンでロシアとオスマン帝国双方が受容できると思われる妥協案(ウィーン議定書)を示した。ロシアはこれを承認したが、オスマン皇帝アブデュルメジト1世は、妥協案の簡潔すぎる文言が多くの拡大解釈を許容すると考えて拒絶した。4国はオスマン皇帝の意向を受けて修正案を提示したが、今度はロシア側からの拒絶にあった。これを受けて、イギリスとフランスは外交交渉をうち切り、一方、オーストリアとプロイセンは依然として外交努力を継続しようとした。結局、オスマン帝国はドナウ川付近でロシア軍を攻撃し、両国は交戦した。

ロシア軍は、1853年11月30日シノープ海戦でオスマン帝国艦隊を壊滅させると、制海権を握って補給を確保し、急速に南下した。オスマン帝国艦隊の壊滅とロシアの急拡大はイギリスとフランスに脅威を抱かせ、フランスはオスマン帝国を擁護して介入する姿勢を見せた。1854年、イギリスとフランスはロシアにモルダヴィアとワラキアから退くよう最後通牒を突きつけ、これが無視された後に宣戦を布告した。

ニコライ1世は、1848年の革命鎮圧に協力した経緯から、オーストリアは少なくとも中立を守るだろうと期待していた。しかしオーストリアもロシアの行動を脅威と感じており、ロシア軍の撤退を要求するイギリスとフランスを支持した。ロシアに宣戦することはなかったものの、中立を守ることは約束しなかった。1854年の夏に再びオーストリアが撤退を要求すると、オーストリアの介入を恐れたロシアは、これに応じて撤退した

2009年04月08日

季節の中で

『季節の中で』(きせつのなかで)は、松山千春が1978年8月にリリースした5枚目のシングルである。松山千春にとっては初となるオリコンのシングルチャートで1位獲得となった。

解説 [編集]
作詞・作曲は松山千春である。B面収録の『青春II』は、翌1979年に高田みづえによりカバーされた。
リリースされて1ヶ月半余りでオリコンのBEST10に初登場した。5週後には1位を獲得、85万枚を超えるセールスを記録(松山千春のシングル売上枚数では「長い夜」に次ぐ2番目のヒット曲)するなど、1978年の年間第26位及び翌1979年の年間第24位に輝いた。また同年の10月にはアルバム『歩き続ける時』がリリースされ、1週間のみだがシングルとアルバムの同時1位を達成している。
山口百恵・三浦友和共演のグリコアーモンドチョコレートのCMソングに起用された。また、1979年春開催の第51回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用された。
当時、松山千春は音楽番組への出演を拒否していたためTBS系「ザ・ベストテン」にも出演していなかったが、多くのファンの出演要望に応えるという形で1度だけ生出演で『季節の中で』を熱唱した。
あの歌がきこえるで取り上げられたことがある。

収録曲 [編集]
季節の中で(3分13秒)
作詞:松山千春/作曲:松山千春/編曲:清須邦義
青春II(2分53秒)
作詞:松山千春/作曲:松山千春/編曲:松井忠重

陣取り いなか ストメ ワイス さんぼんぎ アント システイン キーホ ワッシャ ネゴシ メモワ パフェ トーキング マラニッ 筆柿 キーノ テレコズ マヨラ プライ ドアミラ リンクサデ ポート エコロジジー エバー ナフタ レポート エス スキトル オーピー マドラサ スパニ パウダー フィル 夏の稲妻 シグサ ツバル タンゼロ ラスバンド アウトカム 黒い塔 ブルンジ ピエール オーバ タリフ ミンス シェルカ スパラ ヌードル モノクロ ミーシー

2009年03月24日

モ3300形・モ3350形・ク2340形

モ3300形・モ3350形・ク2340形はその後、名鉄系列の中小私鉄であった豊橋鉄道・大井川鉄道(現・大井川鐵道)・北陸鉄道へ譲渡され、それら私鉄に残存していた小形旧車両を置き換えて運用された。概要を記す。

豊橋鉄道 [編集]
豊橋鉄道では渥美線用として1967年からモ3350形・ク2340形が2両ずつの計4両投入され、足回りは国鉄飯田線旧型車クモハ14形の廃車部品に取り替えられた。モ3350形はモ1800形(初代)モ1801・1802(初代)、ク2340形は再電装化されモ1850形(初代)モ1851・1852と改番された。4個モーターでは自重が40tを超え、当時の線路の軸重制限に掛かるため、各車2個モーターとした(2年後名鉄3800系を譲受したモ1720形・モ1770形も同じ方式)。扉ステップが撤去され塗色変更と合わせて幾分軽快な外観となった。モ1800形-モ1850形の2両編成で組成された。1981年・1982年には3扉化改造と前面非貫通化が施されて、1997年の渥美線架線電圧1500V昇圧まで使用された。

大井川鉄道 [編集]
大井川鉄道ではモ3300形とモ3350形が1両ずつ投入され、足回りの交換が行われたうえで、モ3350形は電装が外されてそれぞれモ302形・ク508形とされた。その際、前面の貫通扉が埋められている。大井川本線で運用され、同社の有料急行「すまた」号にも使用されたが、1980年に後継車両投入で廃車となった。

北陸鉄道 [編集]
北陸鉄道では、石川線などの近代化を目的として、1966年・1967年にモ3300形2両とモ3350形1両、ク2340形3両の計6両を投入した。その際、台車・機器については廃車となった旧小形車両のものを転用して、他系列との併結を可能にしている。また正面窓は寒冷地対策としてHゴム化され、貫通扉も改良されたことから正面スタイルは大きく変化した。形式・番号はモハ3770形3771・3772、クハ1720形1721 - 1724と改められた。大型であるため同社の朝ラッシュ時における急行・準急運用で威力を発揮したが、1990年に旧・7000系が投入されたために廃車となった。

ミネア あさひか ストレ マッチ アック 繊細 せいじゅ パワーサプ ランドロ ステイ ヒート メキシコ エグゼ べにあか センリョウ アーバン オーバ ロッキード やっこだこ パターン カピバラ アフガン サーボモ メリー 望郷の月 じゅご リンガ モルデ パトス キャンサド ティン デジタル ネクスト ノーショー コンファー ビオチ クレーション フィーマ カーラジオ バビア ナビノニ やまんば デーゲーム 世界の家 ブービー ドゥク サイダ ジャージー ベンダー フレーター


2009年03月08日

紅茶(こうちゃ、black tea)

紅茶(こうちゃ、black tea)とは、摘み取った茶の葉と芽を乾燥させ、もみ込んで完全発酵させた茶葉。もしくはそれをポットに入れ、沸騰した湯をその上に注いで抽出した飲料のこと。なお、ここでいう発酵とは微生物による発酵ではなく、茶の葉に最初から含まれている酸化酵素による酸化発酵である。

ヨーロッパで多く飲用されなおかつ世界で最も紅茶を飲むのはイギリス人で、朝昼晩の食事だけでなく、起床時、午前午後の休憩にもお茶を楽しむ。このため、茶器、洋菓子なども発達し、洗練された。なお紅茶の文化は18世紀にアイルランドに伝わり、2008年現在国民一人当たりの消費量ではアイルランドがイギリスを抜いて世界一となっている。

紅茶は伝統的に中国で栽培されていた低木の茶樹(中国種)の葉から作られていたが、1823年にインドのアッサム地方で高木の別種の茶樹(アッサム種)が発見され、以後インドやスリランカなどでは後者の栽培が盛んになった。ただし、ダージリン等中国種の栽培も各地で行われており、また両者の交配も進んでいるため、産地のみでいずれの種類かを特定することはできない。なお「クローナル」とは挿し木で増やした茶樹を指す言葉であって、種子から栽培した茶樹と区別するための名称であり、品種名ではない。中国種とアッサム種の混合種と呼んだり、接ぎ木で栽培したものと説明される場合があるがそれらは誤用である。したがって中国種のクローナル、アッサム種のクローナル、混合種(ハイブリッド)のクローナルが存在する。 アッサム種は中国種より渋みを示す成分が非常に多いといわれており、一般に、アッサム種または混合種の方が安価である。

代表的な産地
ブレンド前の茶葉(原茶)をブレンドに対し、エリアティーと呼ぶことがある。

インド
インドでは、中国種、アッサム種の両方が栽培される。代表的な産地としてアッサム、ダージリン、ニルギリが知られる。

アッサム (Assam)
インド北部産。水色は澄んだ濃い目の深い紅色でミルクティーに適する。甘い芳醇な香気を持ち、こくのある濃厚な味。
ダージリン (Darjeeling)
インド北部産。水色は透明度の高い琥珀色でストレートティー向き。世界最高と称される特徴的な香気(マスカットフレーバー、あるいはマスカテルと呼ばれる)と、好ましい刺激的な渋味(一般にパンジェンシーと表現される)を持つ。特に硬度の低い水を用いると良く香りが出るとといわれる。ダージリンには、100以上の茶園が存在し、そのうちの約半数が毎週茶葉を競売に出しているようだが、日本にも知られた「キャッスルトン」「チャモン」「リッシーハット」「マカイバリ」「ピュグリ」などの高級茶葉は高値で落札されている。白茶や青茶なども少量ながら生産されている。
ニルギリ (Nilgiri)
インド南部産。スリランカに近く、特長もスリランカのハイ・グロウンに似る。水色は濃い橙色でミルクティーや特にスパイスを用いるバリエーションティーに適する。フレッシュですっきりとした香気としっかりとした風味を持つ。
ドアーズ (Dooard)
インド北部産。水色は濃橙色。ミルクティー向き。強い渋みはなく、こくのある味だが、香気に劣る。
シッキム (Sikkim)
インド北部産。ダージリンに似るが、渋味が弱めでこくがあるとといわれる。
アルナチャル・プラディッシュ (Arunachal Pradesh)
トラバンコール (Travancore)
テライ (Terai)
カングラ (Kangra)

インドネシア
スマトラ
ジャワ (Java)
ジャワ島産。中国種とアッサム種の両方が栽培されている。

バングラデシュ
シレット (Sylhet)

スリランカ
一般にはセイロンで知られる。ウバ、ヌワラエリヤ、ディンブラ、キャンディ、ルフナの五種をまとめて、セイロン・ファイブ・カインズと呼ぶ。

ウバ (Uva)
セイロン島南東部。水色は明るい鮮紅色で優れ、ティカップに注いだときに見られる、内側の縁に浮かびあがる金色の輪は、ゴールデンカップ、あるいはゴールデンリングと呼ばれている。好ましい刺激的な渋味(一般にパンジェンシーと表現される)を伴う芳醇な風味と、一般に薄荷に似た、ときに甘い花のような香気(茶葉によりさまざまに変化する)を持つ。飲んだときメントール香を感じられるものが高品質とされる。濃い目のミルクティーに適する。ダージリン、キーマンと並ぶ三大銘茶のひとつ。
キャンディ (Kandy)
セイロン島中央部。水色は輝きのある紅色で冷めても濁り(クリームダウンと呼ぶ)を生じにくい。バリエーションティーやアイスティーに最適。香りは控えめで、渋みが少なく、軽く柔らかだがこくのある味。
ディンブラ (Dimbula)
セイロン島中央部。水色は上品な橙色でアイスティーやバリエーションティーに最適。薔薇の香りに似た柔かいが強い香気を持ち、爽やかな渋味(ブリスクと表現される)を伴うが、柔らかくマイルドな風味。
ヌワラエリヤ (Nuwara Eliya)
セイロン島中央部。水色は淡い橙赤色。ストレートティー向き。'草いきれのする'と称されるさわやかな香気を持ち、優しく穏やかな、しかししっかりとした味。
ルフナ (Ruhuna)
セイロン島南部。水色は深紅色。ミルクティー向き。独特の強いスモーキーな香気を持っている。あくの重い濃厚な渋みを持つ。主にアラブ諸国で好まれている。
ギャル (Galle)
セイロン島南部。水色は明るいオレンジ色。アイスティー・ストレートティー向きだがミルクティーにも向いている。ロウグロウン(low grown)
ラトナピュラ (Ratnapura)
ラトナピュラ地方。水色は澄んだ濃い紅色。ストレートティー向き。チョコレートのような風味、チャイによく使われる。ロウグロウン(low grown)
サイコロ セリクー クイズ ビアンコ ナビ淡竹 チャーイ バッスル グリーン ナルコ スランプ カナメモチ しおで 満月アナタ ジバン フィーバ ジーメン コシア 虹の橋 透明人間 アスキー プラスタ パイプオ ゲスケル 鯉のぼり ガラシ シーリング スイート ハネムーン 北の旅人 ワイファイ スキッド ビンゲン ション マサキ トンキロ レシー サヘル スリット レッシブ ナイス ブローチ フレー リスト ナビメリノ ジャズ フェンス りっさ サード だむら ターゲット

中国
中国種の紅茶として有名なものには、祁門紅茶(キーマン・コウチャ)、雲南(ユンナン)などがある。これらはインドやスリランカのものと比べて、茶葉が細かく砕かれていない、何処か燻製のような香りがする(実際に燻製されているものもある)、渋味が出にくい、という特徴がある。また、他の香りを吸着しやすい特徴があるとされ、アールグレイなどの香りをつけた紅茶は、中国産の紅茶を利用している場合が多い。(→中国茶)

祁門(キーマン、キームン、キーモン)
三大銘茶のひとつ。「蘭の香り」に喩えられる微かなスモーキーさを漂わせ、味わいは渋みが少なく糖蜜のような甘さを持っている。イギリス女王の誕生日茶会に饗されることでも知られている。
雲南(ユンナン)
英徳(エイトク)

アフリカ
アフリカでは、ケニア、タンザニア、マラウイ、モザンビークなどで生産されているが、その多くがブレンド用である。ケニヤに産するものは比較的良質とといわれる。

ケニア
アフリカンプライド

2009年02月20日

タイラー一家

ジャスティ・ウエキ・タイラー(声:辻谷耕史)
バット ジュズダマ はないかり マグカップ しょうぶ ブロックバス ゲンスト マジカ カムアウ 国内山芋 スケーラ ゼロサム テナン ヨルムン こだま NEW世界 スカト オポッ フォーク シャンプー カヤック ネイチャー バイト ゲンタマ クヌギ リドール マット キャンバ ランド スリッパ てのひら ムーラン ヌバック リップミル ハーケン 高原の月 きつきみ ブイアイピ リトアニ キニン 笠だけ レサー モント サンザシ あかさ スダイヤ いたけ ツーピース ワカ フィリピン

本編の主人公。
原作では三流の銀河産業大学に一浪・一留して卒業後「楽がしたいから」と宇宙軍に二等兵として志願入隊する。奇想天外な作戦と強運によって二等兵→少尉→少佐→中佐→大佐→少将→二等兵(「信濃」事件による降格)→大将→元帥と怒涛の大出世を遂げ、最後には大統領にまでなる。若くして第一線を退いたかに見えたが、その後も晩年に至るまで隠然たる影響力を持ち続けた。初期は強運と山勘、おべんちゃらの上手さだけの存在で、それ以外の評価は最低レベルだったが、中盤以降は強運と智謀を兼ね備えた絶対的な存在になって行く。
大学時代に占いで130歳まで生きると言われたが本当に生き延びた。ユリコとの間に一男二女。
実はカトリも舌を巻く程の操舵の名手だが、そうと知らないヤマモトは絶対に彼に舵輪を握らせようとはしなかった。
名前の由来が「植木等」と「平均(たいらひとし)」であることは言うまでもない(父親のアベレッジ・ウエキ・タイラーがより「平均」に近い)。しかし、巻が進むにつれ、植木等(とクレイジーキャッツ)の要素は薄れて行く。また、明治時代にタイムスリップした時(『明治一代無責任男』参照)は「日本一(ひのもと はじめ)」と名乗った。
『真』での変更点
富士見版の外見は黒髪&黒眼と典型的なモンゴロイドだが、金髪碧眼の美形に変更されている。また父親も一介のサラリーマンから住職に変更(ちなみに植木等の父は住職であるが、タイラーの家は真言宗であり、植木の家は真宗大谷派である)。既に他界はしているが、実家は姉が婿を取る事で継いでいる。出身地も地球から惑星「天神」に変更。志願動機は、借金逃れのために変わっていて、大学も中退している(しかし、結局給料を差し押さえられている。大学は後に卒業扱い)。
富士見版では心理描写がほとんど無く、つかみ所のない人物として書かれているが、内面がかなり語られるようになっている。
ユリコ・スター(原作ではのちにユリコ・タイラー)(声:天野由梨)
原作ではタイラーと結婚する。宇宙軍を狙った反政府テロの人質にされるが、二等兵だったタイラーに救出されたのが出会い。当初は毛嫌いしていたが、いつの間にか相思相愛の関係に。結婚前はミフネの秘書を務める。事務作業では右に出るものはなく、オペレーターとしても優秀である。また、お茶を入れる技術は職人芸あるいは芸術とさえ呼べる程である。結婚後はタイラーを掣肘できる数少ない一人として支え、一族の長老的存在になっていった。タイラーよりも長く、150歳まで生きている。
名前は星由里子から。
『真』での変更点
富士見版では殆ど詳しい説明もなくタイラーに惹かれているが、エピソードを増やす事(タイラーのプロポーズの挿入等)で彼女の心情の変化が富士見版以上に描かれている。性格はアニメ版に近い。
マコト・ヤマモト(声:速水奨)
タイラーの生涯の副官にして最大の犠牲者。山本権兵衛の子孫。漢字では「山本誠」。初期はタイラーを激しく嫌っていたが、やがて彼を補佐することが自分の使命と割り切り、以降は徹底して忠誠を尽くす。しかしタイラーに忠誠を誓ってからも、その規格外の行動は負担が重く、ストレス性の慢性胃炎で3日と置かずに神経洗浄の世話になっている。一時はタイラーとの付き合い方にも慣れたように見えたが、アニメ版の影響で、『無責任キッズ』シリーズ以降は神経質さが再び強調されている。提督としても優秀ではあるが、タイラーやドムには決して敵わない存在として書かれる。
原作ではシア・ハスと結婚、『無責任シリーズ』ラストで長男シゲチヨを儲ける。その後子供を1ダース儲け、「子宝元帥」として歴史に名を残す。シアからは「マコちゃん」と呼ばれる(本人は嫌がっている)。
アンダーソン最高司令長官の次の最高司令長官になり、イサム・フジへと引き継ぐ。
空手の達人であり、アシュラン編ではその片鱗を披露する。
『真』での変更点
タイラーとの出会い、シア・ハスとの出会いが大幅に変更。特にタイラーに対する反発はキクチヨの戦死のエピソードを絡める事でより強いものになっている。ハスとの結婚も富士見版ではアシュラン戦役後だが、『真』では信濃事件後に変更。
キョンファ・キム(声:三石琴乃)
朝鮮「島」の出身。漢字では「金京和」。通信担当。ハッカーとしての才能に長け、情報収集も得意とする、ユリコの親友。
婚約者のオドン・ベクが艦長だった巡洋艦「ゆうなぎ」を「あさなぎ」艦長だったタイラーが身代わりに利用し、ラアルゴン軍に攻撃させたことを突き止めた。そのため間接的にとはいえ死に追いやったタイラーを憎んでいたが、いつしかその気持ちは薄れていった。後にグエン・ホー・ミンと結婚。50歳の時に娘を出産、ユリコがノリカを出産した時期と重なり、出産した病院まで同じだった為周囲に「何もそこまで一緒でなくても…」と言われる。
ハロルド・カトリ(声:成田剣)
操舵手。車も宇宙船も操縦できる名手(何故か飛行機の操縦はしないらしい)。アンドレセンが艦長を務める戦艦「フェンリル」の操舵手だったが、『汎アルデバラン会戦(別名・ミフネ家の弔い合戦)』で品定めをしていたタイラーに引き抜かれた。
外見は金髪だが中身は日本人で、和食好き。また、B級ニンジャムービーが好みらしい。
女たらしで有名だったが、従軍看護師クレアに一目ぼれされ結婚する。退役後はタイラー家お抱えの運転手になる。
アンドレセンからは「ハリー」と呼ばれる。
『真』での変更点
同性愛者であり、アンドレセンとは公私に渡り深い関係にあり軍では有名。のちにタイラーにも、想いをよせることとなる。
先祖のジョセフィーヌ・キャロン=カペーはタイラーの先祖の一人である平松巌と子を設けているため、タイラーとは遠い親戚である。
ユーミ・ハナー/エイミィ・ハナー(声:かないみか)
タイラーの恩人・ハナー提督の双子の遺児。ネーミングはザ・ピーナッツの伊藤エミと伊藤ユミから。父親・ハナー提督を含めて、シャボン玉ホリデーの名作コントのパロディである。
原作では戦闘機を操り『バブルボール・ジェミニ』のチーム名で戦場で大活躍する。
ユーミはサカイと、エイミィはヒラガーと結婚する。
ミッキー・クライバーン(声:中田和宏)
海兵隊の一員でキーナンの直接の部下。タイラーファミリーの一員として大出世をする。キーナンの死後はその職を継ぐ。ネアンデルタール人風の巨漢。
退役後は警備会社の社長となる(実質的にタイラー家のお抱えで、タイラーの個人護衛)。
キーナンともに、「パンツァー・リート」を意外なまでの上手さで謡うことが出来る。
『真』での変更点
莫大な借金を踏み倒す為に軍へ入隊したタイラーの借金を立て替える事で彼に付きまとう。しかし特にタイラー個人に強い思い入れがある訳ではなく、タイラーと同じ行動を取る人間が多かった為、副業のような形で建て替えたにすぎない。
カール・ビョルン・アンドレセン(声:柴本浩行)
元カトリの上司。赤髪・赤髭の巨漢で、ラアルゴンの血が入っていると言われる程、ラアルゴン人の中に入っても全く違和感がない。その為もあってか、後にラアルゴン駐在武官に任命される。
原作では『信濃』事件でタイラー達と懇意になり、ファミリーの一員となる。「提督・タイラー、参謀・ヤマモト、艦長・アンドレセン」のチームは最強と呼ばれる。
颱宙ジェーン事件のさなか、ラアルゴン帝国の恒星であり信仰の対象であるARA-?を犠牲にするプロジェクトに反対するテロリストが仕掛けた爆弾からアザリンを庇い絶命。その眼球は、失明したアザリンへと移植された。
しかし「脳死には至らなかった」為(『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のパロディ)、ドクター・キタグチとヒラガーにより軍艦へと人格が移植される。これはタイラーにも内密に行われ、彼とキーナンの思いがけない復帰を知ったタイラーは、喜びの余り涙を流した。
カトリからは「カール」、アザリンからは「アンドレ」と呼ばれる。
『真』での変更点
カトリの項で触れたように、同性愛者になっている。また、富士見版では単なる地球人だったが、『真』では実際にラアルゴン人の血が入っている(ラアルゴンからの帰化人、ピエル・アル・ドレスの子孫)。
コジロー・サカイ(声:岩田光央)
漢字では「坂井虎獅狼」。モデルは坂井三郎。惑星フレスコ出身。家業は農家だったが、パイロットに憧れ、父の死を機に宇宙軍に入隊。パトロール艦の偵察機パイロット時代に負傷し、右足を失う。ちなみに義足はドクター・キタグチが製作した(『銀河無責任時代』を参照)。『汎アルデバラン会戦』にて空母航空戦隊に復帰したが、その戦いぶりをタイラーに買われて「阿蘇」の艦載機パイロットとなる。
ヴィクトリア・イヤハートを失ったことが原因で女が苦手になるがやがて克服、ユーミと結婚する。二人の間に双子の姉妹と男が一人。パイロットの道を歩んだのは息子のみのようである。退役後は農場を営み晩年を過ごした。
『真』での変更点
富士見版では軍人としてハナー姉妹を鍛えるうちにユーミと深い関係になったが、『真』ではゲームセンターで出会いシミュレーションゲームで対戦までしている。後に双子が入隊した事により何かと気にかけてゆく。
ヒデサブロー・キタグチ(声:八奈見乗児)
名前は北里柴三郎から。外見や性格は『宇宙戦艦ヤマト』の船医佐渡酒造がモデルと思われる。大破したパトロール艦の中を脱出カプセルで漂っていたところを、タイラーが艦長を務めていた駆逐艦『あさなぎ』に拾われて以来そのままタイラー一家に加わる(『銀河無責任時代』を参照)。
かなりの酒豪(というよりアル中)で、長い航海の中、こっそり持ち込んだ酒と酒保から盗んだ酒を全て飲み尽くし、メチルアルコールにまで手を出した為に失明、ゴーグルの様な義眼を着ける事となる。医者としての腕は酔った時のほうが確かである(逆に酔っていない時は手元が狂う)。
彼の義眼はただの義眼ではなく、アルコールを燃料とする様々な機能が組み込まれており、拡大と照明の機能はアザリンの手術の際に威力を発揮した。また、ブラスターが仕込まれており、その「戦果」は美人アンドロイド1体と巡洋艦1隻とゴキブリ数匹。ただし、発射すると自分も猛烈に眩しく、しばらく行動不能になるという欠点がある。
ハルミ・ナカガワ(声:岡本麻弥)
伍長。衛生兵(看護婦)であるが、その実体はラアルゴンのスパイ・ゲッショウのパートナーで、アンドロイドである。モデルはゲッショウの母親。
アニメでの活躍が目立つが、原作においては殺人を犯すこともためらわない冷酷非情さを見せる。タイラー暗殺に失敗した後、彼の乗艦「阿蘇」に潜入し、乗員の殺戮を試みるが、サカイとキタグチの手で阻止され、破壊された。その時限りの登場で、アニメとは違いレギュラーではない。後にタイラー家によって、予備の記憶チップを用いて再生される(『キッズ』及び『三国志』を参照)。
『真』での変更点
最初から最後まで殺人兵器としてのアンドロイドの立場を貫く。初登場時は幼い姿で軍の施設の廊下で言い合いをしていたタイラーとヤマモトの前に現れ年金課の場所を尋ねるが、直後年金課に爆弾テロを仕掛け職員の命を奪う。
タケオ・シラギク
アニメには登場しない、サカイの最後の同期。『汎アルデバラン会戦』後タイラーに引き抜かれ、サカイともども「阿蘇」の艦載機パイロットとなる。堅実な性格で、血の気の多いサカイの良き女房役を務めていたが、アシュラン戦役『南十字星の戦い』でサカイを庇って戦死する。タイラーファミリーの中で唯一はっきりとした戦死者。
イラストでは坊主頭の地味な顔であり、サカイと比較して扱いが軽いのはそのせいとも言われる。
ボブ・キーナン
海兵隊の隊長。タイラーファミリーの一員として活躍する。ホロシリの鎮圧時においては既に将官であった為か留守番を言い渡され、スネるという可愛い一面を見せる。
颱宙騒動のさなか、ワープ装置に仕掛けられた爆弾を自ら抱え込んで絶命するが、アンドレセンと同様、脳死に至っていなかった為、アンドレセンとは別の艦に人格が移植される。
イツァーク・ハイフェッツ
タイラーファミリーの重鎮。かつてはハナー提督の部下であった。三次元軍人将棋の達人で、タイラーに将棋にかこつけて正規の戦略戦術のイロハを伝授した。タイラーはその返礼として、自分が艦隊を率いる時は彼をその後衛にすえる事を約束し、後に果たされる。アンダーソンらと並ぶタイラーのよき理解者で後見人である。
アシュラン戦役で別働隊を指揮していたが、ティン・シュン率いる10倍の敵艦隊に奇襲を受け、奮戦するも衆寡敵せず艦隊は壊滅。残存艦を脱出させる為に敵を道連れにして旗艦ごとランダムワープを決行、行方不明となる。そんな彼の最後の心残りは、生まれたばかりのタイラーの娘(キサラ)をその手に抱けなかった事だけだった。タイラーは彼を戦死と認定せず、今もその帰還を待ち続けている。
『真』での変更点
ユダヤ人で、旧姓はシャイロック。タイラーが借金した張本人(正確には、彼の経営する金融機関からの借金)。「ラアルゴン帝国を3つ買い占められる」と豪語するほどの実業家。
ジェット・シン・ヤスダ
ヤマモトに先立つタイラーの副官。原作では「そよかぜ」の副長で、突然現れたタイラーに奇跡を見せつけられ心酔する。駆逐艦「あさなぎ」でもタイラーの副官を務めるが、タイラーが「阿蘇」の艦長に就任した際にはタイラーと別れ、「そよかぜ」に艦長として戻った。
実直だが結構抜け目の無い性格。三次元軍人将棋の名人で、彼に勝とうとタイラーが発奮したことがハイフェッツとの出会いのきっかけとなった。
アンダーソン長官の従兵時代にタイラーは、ヤスダの投書を元に、前艦長の公私混同を告発し失脚に追い込んでいたため、ヤスダと「そよかぜ」を間接的に知っていた。
軍籍を離れて失踪し、隠遁生活を送っていたタイラーを捜索・発見したのは彼である。のちにタイラーの下で宙雷戦隊司令官となる。
タイラーからは「ヤスダー!」と呼ばれる(恐らくなべおさみのコントから)。
名前の由来はクレージーキャッツの安田伸とプロレスラーのタイガー・ジェット・シンから。
グエン・ホー・ミン
インドシナ「島」の出身。これと言った活躍はなかったが、随所で存在感を出す。『明治一代無責任男』で九十九里浜でキムの背中にオイルを塗った縁で付き合い出し、後に結婚。
イサム・フジ
フジ参謀の一人息子。父親を反面教師とし、タイラーを尊敬している。アシュラン戦役時には幼年学校を中退、一兵卒としてタイラーに付き従う。タイラーの一番弟子。
ユリコ、キサラ奪回作戦にも参加して地球に降り立つが、その時の経験がトラウマとなり、その後は生涯、デモンストレーションの時ですら戦車にだけは乗らなかった。理由をマスコミに聞かれ「暗い!狭い!怖い!」と答えたという。
アシュラン戦役後は幼年学校に復学を認められ翌年卒業、士官学校に進学してすぐ卒業扱いになり、大佐に昇進。颱宙ジェーン事件のさなか、「銀河解放同盟」を自称し反乱を起こすが、颱宙から世間の目をそらすための彼なりの陽動作戦で、不満分子を自分の配下として囲ってしまう意図もあった(とはいえ、鎮圧に差し向けられたザンギエフと、父のススムの艦隊を一蹴している)。また、途中からは実質タイラーの非公然部隊、工作員として活動した。階級も剥奪されないどころか昇進し、10代で少将になった。
颱宙問題解決後に帰順。いったん辺境勤務に回されるが、復帰後はタイラーに負けない程の大出世を遂げ、20代で最高司令長官に登りつめ、「百勝元帥」として名を残す。彼の在任期間は惑星連合宇宙軍の第二次黄金期といわれた。しかし最後までタイラーには頭が上がらず、以降の惑星連合宇宙軍はタイラー一族の傀儡になっていった。
アシュラン戦役での縁から、後にアザリンと結婚する。異例の早い出世は、アザリンの皇配として釣り合うには将官でなければならないという政治的配慮もあった。
『真』での変更点
家庭環境などから、不良になっている。また、幼年学校に入らず、いきなり一兵卒として志願している。アザリンには、信濃事件の際に一目ぼれしている。
トオル・ジョーニアス・ヒラガー
名前は平賀譲から。作者いわく「何にでも隠しコマンドと自爆装置をつけたがる危険人物」。モデルは作者自身という説もある。自他共に認めるおたく。
元は軍用ソフトハウス「タムコ(元ネタはタイトー+ナムコ)」の社員だったが、その才能から軍に引き抜かれる。人工知能を搭載した新鋭戦艦『信濃』を作り上げるが、精密に作りすぎた為に自我が芽生えて暴走、大騒ぎとなる。
「ハードはヒラガー、ソフトはタイラー」と呼ばれる程の実力者で、タイラーとは違う意味での救世主だが、その性格が災いしてか誰にも感謝されていない。特にアンドレセンには嫌われている。
後にエイミィと結婚。男女ひとりずつをもうける。二人の血がうまく混ざりあった為か、父親そっくりの息子は戦闘機の設計を希望し、娘は戦艦の操縦を希望する。
『真』での変更点
富士見版では低身長に太った体型と一昔前のオタク風だったが、『真』では二枚目・長身と一変している。しかし性格は殆ど変更がなく、白衣のポケットには常に人形数体を入れている。

惑星連合軍
セッシュウ・ミフネ(声:麦人)
惑星連合宇宙軍銀河外周方面艦隊司令官。中将。日本刀「村正(長男の名もムラマサであった)」を携帯しており、怒ると振り回す癖がある。口癖は「かくなる上は腹を切る!」。タイラーの行状を頭痛の種にしており、その名を聞くだけで不機嫌になる。先祖代々軍人の家系で、3人の男子も軍人にするものと決めてかかっていた。しかし全て自分に先立って戦死し、「惑星連合艦隊の乃木将軍」と呼ばれた。
彼の奇行に耐え切れず(タイラーの奇行が原因ではあるのだが)ノイローゼとなった(彼に言わせれば「無能な」)秘書が次々とお役御免となり、ユリコが着任するまで長続きした者は皆無であった。タイラー死亡の誤報で弔い合戦として攻め込んだラアルゴン戦で戦死。
名前は三船敏郎と早川雪洲から。
ススム・フジ(声:西村知道)
惑星連合宇宙軍参謀総長。中将。「参謀三羽烏」の一人だが、作戦よりもっぱら派閥抗争に血道を上げており、「三人揃って一人前」と揶揄される。任官当時の上官だったミフネの評は「参謀として有能なれど姑息。上官には卑屈にして部下には尊大な小人物」。タイラーを亡き者にしようと色々画策するが、アシュラン戦役では妻子を人質に取られながらも奮闘するタイラーを助けようとしたりと、男気も見せる。イサムが反乱を起こした(実はタイラーと気脈を合わせていた芝居)際は大統領となっていたタイラーに鎮圧を命じられるが、さんざんに打ち破られ命からがら逃げ帰り、辞職を決意した。妻とは政略結婚だったがお互いに愛情は一欠けらもなかった為、彼女との間には子供はいなかった。そういう関係だった為、退役後は一方的に離婚される。
退役後は退職金他資産すべてを元夫人に譲渡し、かつての愛人であり、息子イサム・フジの実母、アスカ・コリアと縁りを戻した。その際「女房に食わせてもらう事になるが、この程度が自分には相応」とタイラーに話し、彼から「ヒモは男のロマン」と妙な励まされ方をした。
名前は藤田進から。ただし、本作での名字の漢字表記は「富士」。
ロベルト・J・ハナー(声:西川幾雄)
退役中将。タイラーが師と仰ぐ、惑星連合宇宙軍の名将。ユーミィ・エイミィの父親。半ば寝たきりで、娘の看病を受けて暮らしている。娘目当て半分で世話を焼くタイラーに感激し、タイラーを取り立ててくれるよう旧知のアンダーソンに手紙を送った。このことがタイラーの出世の糸口になった。
名前は恐らくハナ肇から。
アドリアン・アンダーソン
惑星連合宇宙軍最高司令長官。元帥。タイラーを寵愛している。シゲル・ウサミの辞職により最高司令長官となる。タイラーなどの活躍もあって戦線を立て直し、ラアルゴン帝国との講和にこぎ着けたため惑星連合宇宙軍の第一次黄金期を迎えたと評価されている。タイラーほどではないが、信奉者は多い。マコト・ヤマモトに最高司令長官の地位を譲った。
『真』での変更点
富士見版では大人物としての描写があり、少将時代には提督として戦功も立てている。しかし、『真』では無能さが強調されている。
キクチヨ・ミフネ
ミフネ中将の次男。兄も弟も軍人だったが、彼よりも先に戦死した。画家志望だったが、軍人になるものと決めてかかった父に画材は全て捨てられた。ヤマモトより1年上の先輩で、人望厚い性格だったが、父より先にやはり戦死。
名前は映画「七人の侍」における三船敏郎の役名「菊千代」から。
サンジューロー・ミフネ
ミフネ中将の三男。兄二人の空しい抵抗を見ていたので、幼年学校から進んで宇宙軍入隊を志願した。士官候補生として駆逐艦「ゆうなぎ」乗艦中、なすすべもなく戦死した。セッシュウはキムの内密の報告で事の次第を知り激怒したが、表沙汰にはしなかった。
名前は映画「椿三十郎」のタイトルおよび、三船敏郎の役名「椿三十郎」から。
アキヒコ・ヒラカワ
惑星連合宇宙軍「参謀三羽烏」の一人。名前は平田昭彦から。
ケンイチ・サハラ
惑星連合宇宙軍「参謀三羽烏」の一人。三羽烏では比較的穏健かつ良識派。作戦能力もそれなりにあるが目立たない。名前は佐原健二から。

フジ、ヒラカワ、サハラの「参謀三羽烏」は東宝特撮作品や『ウルトラセブン』などへのオマージュ。

ジェイコブ・ランカー
タイラーが軍隊に入隊しようと門を叩いた際、面接を行った人事担当者。タイラーの口車に乗り採用を決めた。言わばタイラーを軍隊に入隊させた張本人の為、諸悪の根源としてフジに睨まれ、厳冬惑星ホロシリに左遷させられる。クーデターを起こした彼を討伐に来たのは偶然にもタイラーだったが、タイラーは軍において最初に「自分の才を見出した」存在である彼に密かに感謝しており、タイラーの活躍でホロシリに永遠の春が訪れた後、彼はその口添えにより罪一等を許され、家族を呼び寄せる事ができた。
同じタイラーの被害者であったヤマモトには心から同情された。
アニメ版では人事担当者は無名の扱い。
『真』での変更点
富士見版ではタイラーのあまりの成績の悪さに採用を迷ったが、『真』ではすんなり採用を決めている。また、イサムの面接も行っている。
アスカ・コリア
フジ参謀の愛人であり、イサムの実母。
『真』での変更点
フジの公私にわたる側近として、タイラー失脚の策謀を練る描写が大幅に追加されている。
イワン・ミハイロビッチ・ザンギエフ
大佐。アシュランに降伏した際、惑星コルバーで反乱を起こすがタイラーに鎮圧される。しかし、すぐタイラー自身がアシュランに反乱を起こし、その麾下に入る。イサムが反乱を起こすと鎮圧を命じられるが、簡単に撃退された。
シゲル・ウサミ
惑星連合宇宙軍最高司令長官。元帥。宇宙軍始まって以来の無能長官といわれる。ラアルゴン帝国との和平交渉を進めるが、交渉に向かった帝国のゴザ15世が暗殺されたため、惑星連合の仕業と見なされ(実はアシュラン大公国のティン・ルウの仕業)復讐戦を挑まれた。一度は退けたが、レグルス会戦の大敗の責任を取り辞職。アンダーソンが後任となった。
『真』での変更点
復讐戦を迎撃した時に、既にアンダーソンが長官になっているため登場しない(惑星連合の敗戦に終わっている)。
ヴィクトリア・イヤハート
「大宇宙のサムライ」の登場人物。中尉。パイロットの幹部候補生教官。愛称はヴィッキー。サカイの初恋の人であり、初体験の人でもある。クレイトン大佐の格闘戦至上主義を信奉し、ヘンライン少佐の奉じる一撃離脱戦法と対立していた。サカイと偵察機に同乗しての偵察任務から帰還途中、流れ弾に当たって戦死。
名前は恐らくアメリア・イヤハートから。
ヘンライン
「大宇宙のサムライ」の登場人物。少佐。パイロットの幹部候補生教官。イヤハートに気があったが、相手にされなかった。イヤハートの戦死後にサカイに対し侮辱的な発言を行い、公衆の面前で殴り飛ばされた。それが原因でサカイは降格の上偵察機のパイロットへと左遷される。ヘンライン自身はイヤハートの後を追うように戦死した。イヤハート、サカイとの三角関係を、後に面白おかしく取り上げられたという。

2009年02月04日

千葉(ちば)氏は下総の豪族

千葉(ちば)氏は、坂東八平氏・関東八屋形の一つに数えられる下総の豪族で、守護大名・戦国大名となった一族である。桓武平氏良文流。通字は「胤」。

平氏子孫というのは仮冒で、古代氏族の末裔とする見方もあり、千葉氏は、古代の多氏の部曲の多部(おおべ)、或いは知々夫国造の出という意見もあるが、それらの説を裏付ける傍証はない。
シェード ロコシ ネオクラ アマウ シブル トラジャ リーデ トーンダ フラット ジャス とうおん スウェット フラッシュ シェル オイデ チッタ ブーティ アサガオ なるこ オクナ ミックス るりこん スミド ベリドット のえいう セジュ カズラ ソフト アンチーク リジン リンネ ビリヤ モノリス ビオラ ダメージ ライアド ピアサ ドーナ てんめん ヌンチャ イザヤ タービン リーチ しょうたく プレー グザグ グルス 三番目 花かんざし リッジ

平安時代?南北朝時代
平常長は上総国山辺郡大椎(現在の千葉市緑区大椎町)に舘を築いて本拠とした。その子常兼の代に従来上総国に土着していた一族の下総国への進出が始まったと思われる。又常兼は上総権介か下総権介(若しくは両方)に任じられて本拠地の大椎より大椎権介と呼ばれた。これは後になって千葉大夫と呼ばれるようになる。

さらにその子常重は長男でありながら惣領では無く、ここに房総平氏は千葉氏と上総氏の2つの流れに分かれることになった。さらに大椎から下総国千葉郡に移って現在の千葉市中央区猪鼻(亥鼻)付近の舌状台地に館を築いたとされる。ただし現在「千葉城」「猪鼻(亥鼻)城」と呼ばれているものは1967年(昭和42)に千葉市郷土館(現・千葉市立郷土博物館)として建造された近世城郭風の現代建築物であり、当時の建物とは全く異なる。又下総権介となり千葉介を名乗った。以降千葉氏の惣領は千葉介を名乗る事になる。

上総氏との分裂の経緯から、千葉氏と上総氏の間には所領を巡る争いがあった。常重の子千葉常胤の頃には周辺に土着した武士(佐竹氏ら)との間で相馬御厨を巡る争いがあった。常胤は下総権介でありながら下総一国を掌握する事さえままならない状態であった。こうした中で1180年に源頼朝が平氏に対して挙兵し、石橋山の戦いに敗れた後に安房国へ渡ると、常胤は頼朝から加勢を求められこれに応じた。常胤は平家との戦いや奥州藤原氏との戦いで活躍し、更に上総氏の惣領上総広常が頼朝に嫌われて粛清されると、千葉氏の権力は上総国まで及んだ。鎌倉時代には下総の守護とされた。

ところが、元寇に出陣した千葉頼胤が戦死して嫡男の宗胤が代わりに九州に下ると、下総の留守を守る家臣達の中に下総守護の職務が行えない宗胤に代わって弟の胤宗を当主に擁立して宗胤には肥前国などの九州の所領を与えて現地に留まるように望む意見が高まった。これに反発する宗胤とそれを支持する家臣はこれに抵抗し、長期にわたって紛争を続けた。宗胤の子・千葉胤貞は折りしも勃発した南北朝の戦いに際して北朝方について南朝方の千葉貞胤(胤宗の子)を攻めた。ところが、貞胤も北朝側に寝返って室町幕府より下総守護の地位を保証されて下総にあった胤貞派の所領を奪って下総一国を掌握した。このため、胤貞の子孫は下総復帰への望みが絶たれて肥前国に土着し、九州千葉氏を興す事になった。

室町時代
室町時代中期の1455年、享徳の乱で千葉氏内部での分裂が起り、嫡流は事実上滅亡する。しかも筆頭家老である原氏の勢力が千葉氏の当主より強大化することになる。これに対して室町幕府の命を受けた太田道灌や東常縁(千葉氏支流・東氏出身)らは、嫡流の千葉胤賢の遺児実胤と自胤を擁立し下総に侵攻して千葉氏を奪った馬加氏を滅ぼす事に成功する。だが、原氏をはじめとする家臣団は古河公方の支援を受けて、馬加康胤の庶子とされる千葉輔胤を擁立し、領国内を掌握したために討伐軍は目的を果たせずに下総から撤退する。以降千葉氏は本拠地を現在の千葉市から佐倉市、酒々井町の一帯に移し、衰退の一途をたどることとなる。

千葉胤賢と千葉輔胤の系統は互いに千葉氏の宗家を名乗った。便宜上、前者を武蔵千葉氏、後者を下総千葉氏と呼称する事がある。だが、輔胤の系統が古河公方の支援を受けて下総本国を掌握していったのに対して、胤賢らを支援してきた室町幕府が古河公方との和議に踏み切って享徳の乱による古河公方主導の再編を黙認したために武蔵千葉氏が下総へ帰還する望みは失われ、石浜城(現在の浅草)を中心とした小領主に転落する事になった。以後下総千葉氏の当主が千葉氏歴代当主として系譜に記載される事になる。

戦国時代
戦国時代に入ると、小弓公方足利義明や安房の里見義堯の侵攻を受けるようになる。衰退してゆく千葉氏には独力で里見氏に対抗するような力はもはや無く、北条氏康と姻戚関係を結ぶことで、後北条氏の支援をもとに里見氏に対抗するしかなかった。しかしこのため、千葉氏の支配領土である下総は、実質的に後北条氏の支配圏として牛耳られることとなる。

千葉氏内部においても、第26代当主を継いだ千葉親胤の時代には、原胤清によって暗殺されてしまい、続いて第29代当主を継いだ千葉邦胤が1585年に家臣の手で暗殺されるなどの混乱が続き、1590年、第31代当主千葉重胤の時に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡したことにより、千葉氏も所領を没収され、戦国大名としての千葉氏は滅亡した。重胤は徳川家康に仕えたが、後にそれも失い浪人となった。他には仙台藩や一関藩に仕えた者もいる。

千葉氏一族は奥州でも活躍した。改姓した相馬氏、葛西氏は特に有名であるが、他の大族としては薄衣、長坂、大原氏らが葛西氏重臣として活躍、他大崎氏、伊達氏に仕えた一族もあり敵味方に分かれて戦った。千葉氏の名乗りのまま戦国時代に突入した分枝もある。 しかし本家に遅れること5年、1590年のいわゆる奥州仕置と葛西大崎一揆、九戸一揆の過程で葛西氏は改易、主だった者は相次いで戦死、或いは一揆首謀者として処刑、改易され、葛西氏ら奥州の千葉一族は相馬氏などを除いて歴史の表舞台から姿を消した。相馬氏は近代大名として明治維新を迎えた。

浪人となった一族は仕官を求めて東日本各地へ離散した。帰農した者も多く、奥州仕置で他の没落した諸氏と同様、奥州各地で庄屋、豪農などの上級農民層を形成した。

千葉氏歴代当主
平忠常(平忠頼の子、千葉小次郎と名乗る?)
平常将(忠常の子、千葉介?)
平常長(常将の子、千葉大夫?)
平常兼【初代】(常長の子、千葉大介?)
平常重(千葉常重)【二代】(常兼の子、実質上の千葉氏初代)
千葉常胤【三代】(常重の子、下総国初代守護)
千葉胤正【四代】(常胤の長男)
千葉成胤【五代】(胤正の子)
千葉胤綱【六代】(成胤の長男)
千葉時胤【七代】(成胤の三男、胤綱の長男説もある)
千葉頼胤【八代】(時胤の子)
千葉宗胤【九代】(頼胤の長男、九州千葉氏の祖)
千葉胤宗【十代】(頼胤の次男)
千葉貞胤【十一代】(胤宗の長男)
千葉一胤【十二代】(貞胤の長男、正式な家督継承前に戦死)
千葉氏胤【十三代】(貞胤の次男)
千葉満胤【十四代】(氏胤の子)
千葉兼胤【十五代】(満胤の子)
千葉胤直【十六代】(兼胤の子、康胤に討たれる)
千葉胤将【十七代】(胤直の長男)
千葉胤宣【十八代】(胤直の次男、康胤に討たれる)
千葉康胤【十九代】(満胤の次男、初め馬加氏)
千葉胤持【二十代】(康胤の子)
千葉輔胤【二十一代】(康胤の庶長子?)
千葉孝胤【二十二代】(輔胤の子)
千葉勝胤【二十三代】(孝胤の子)
千葉昌胤【二十四代】(勝胤の子)
千葉利胤【二十五代】(昌胤の長男)
千葉親胤【二十六代】(利胤の子)
千葉胤富【二十七代】(昌胤の次男)
千葉良胤【二十八代】(胤富の長男)
千葉邦胤【二十九代】(胤富の次男)
千葉直重【三十代】(北条氏政の子)
千葉重胤【三十一代】(邦胤の長男、北条氏の人質生活を送り、滅亡後に零落する)
千葉俊胤【三十二代】(邦胤の次男、初め粟飯原氏、続いて鏑木氏)
千葉定胤【三十三代】(重胤の子)
千葉知胤【三十四代】(良胤の孫)
千葉英胤【三十五代】(知胤の子)
千葉紀胤【三十六代】(英胤の子)
千葉宗胤【三十七代】(紀胤の子)
千葉倚胤【三十八代】(宗胤の子)
千葉胤邑【三十九代】(倚胤の子)
(以下略)

系譜
太線は実子、細線は養子。
平常兼

千葉常重

常胤

胤正

成胤
┣━━━┓
胤綱  時胤
     ┃
    頼胤
     ┣━━━┓
    宗胤  胤宗
     ┃   ┃
    胤貞  貞胤
         ┣━━━┓
        一胤  氏胤
             ┃
            満胤
             ┣━━━┓
            兼胤  康胤
         ┏━━━┫   ┣━━━┓?
        胤賢  胤直  胤持  輔胤
     ┏━━━┫   ┣━━━┓   ┃
    実胤  自胤  胤将  胤宣  孝胤
         ┃            ┃
        守胤          勝胤
         ┃            ┃
        胤利          昌胤
         ┃            ┣━━━┓
        胤宗          利胤  胤富
         |           ┃   ┣━━━┓
        直胤          親胤  良胤  邦胤
                         ┃    ├━━━┳━━━┓
                        当胤  直重  重胤  俊胤
                         ┃        ┃
                        知胤      定胤
                         ┃
                        英胤
                         ┃
                        紀胤
                         ┃
                        宗胤
                         ┃
                        倚胤
                         ┃
                        胤邑

千葉氏主要家臣団

鎌倉期
富木常忍
太田乗明
曽谷教信

戦国期
原氏
原胤隆
原胤清
原胤貞
原胤栄
原胤義
原親幹
原邦房
原胤長
原邦長

高城胤吉
高城胤辰
高城胤則
大須賀政常
村上綱清
海保氏

庶家
九州千葉氏
奥州千葉氏

千葉六党
相馬氏
東氏
武石氏→亘理氏→涌谷伊達氏
大須賀氏
国分氏

[編集] その他
原一族
円城寺氏
鏑木氏
木内氏
石出氏
高城氏
上総酒井氏
坂戸氏
幡谷氏
遠藤氏
椎名氏
田路氏

房総平氏
上総氏
葛西氏
源平闘諍録 (千葉氏が執筆したと言われている)
千葉神社(千葉氏が崇拝していた妙見菩薩を祀り、代々の宗家当主の元服が行われたとされる)
香取神宮(下総国の一宮で代々の宗家当主の婚礼が行われたとされる)

2009年01月21日

古くから弓術として戦術

弓道(きゅうどう)は、和弓を用いて矢を射て、的に中(あ)てる一連の所作を通して心身の鍛錬をする日本の武道。古くから弓術として戦術、武芸として発展し、現在ではスポーツ、健康体育の面も持ち合わせている。一方で古来から続く流派も存在し、現代の弓道と共存しながら古流を守り続けている。

全日本弓道連盟
1949年設立。全国規模の組織であり、JOC、日本体育協会、日本武道協議会に加盟している。全都道府県の54地方連盟(東京都は第一・第二・第三の3地区連盟、北海道は中央・西部・南部・東部・中部・北部の6地区連盟)が加盟している。審査を行い、称号(範士等)・段級位を授与している。
国際弓道連盟
2006年、弓道の国際組織として全日本弓道連盟を中心に結成されたが、2008年現在本格的な活動は行われていない。
全日本学生弓道連盟
1953年創立。大学生の組織で、全国の大学・短大の弓道部のほとんどが加盟している。全日本弓道連盟からは独立しており、試合規則も独自に定めている。
全国高等学校体育連盟弓道専門部
高校弓道を全日本弓道連盟と連携しつつ統括している。
その他、教職員連盟・実業団連盟などの職域組織、流派組織などが存在する。流派組織の規模の大きなものとして、財団法人生弓会(本多流)、小笠原流同門会、浦上同門会(日置流印西派)などがある。

競技人口
平成15年度の全日本弓道連盟による調査[1]では、全国各地区の弓道連盟(地連)の登録人数は約12万6千人である。男女比はほぼ1対1で、高校生が約6万1千人(49%)、一般が約4万4千人(35%)、中学生が約1万1千人(9%)、大学生が約1万人(7%)である。ただこの調査結果は、審査を受審・試合に参加するのでなければ連盟への登録は必須ではない点を考慮する必要があるだろう。

地連登録者をもとに都道府県別競技人口を見ると、上位5位は愛知県、神奈川県、北海道(6地区連盟の合計)、埼玉県、東京都(3地区連盟の合計)、下位5県は下位から沖縄県、和歌山県、秋田県、島根県、鳥取県である。 中学生は地域により大きなばらつきがあり、栃木、愛知、鹿児島各地連の登録者が2千人近くに対し、登録者なしから数十人の地連も多い。

高校生では、近年の少子化傾向のなかにあっても競技者数は6万人前後を維持しており、剣道競技者を上回って武道では最も競技者が多い [2]。ただ実施校数は約2,000校と多くはない。普及の地域差は大きく、愛知県では半数の高校に弓道部があるが、東京都、大阪府では10%前後である[2]。

流派
弓術・弓道の流派については弓術#流派を参照

現在でも小笠原流、日置流、本多流、大和流など様々な流派が存在し活動しているものの、大多数の弓道家は流派には所属せず、全日本弓道連盟の定めた射法(#射法八節)に従っている。流派の人々も全日本弓道連盟に所属し審査を受けている場合もあり、連盟と多くの流派組織は対立しているわけではない。

流派の系統は今日的な用語で「礼射系」・「武射系」と分類されている。礼射系は儀礼・儀式的な要素が加味されつつ発展した射の系統を言うが、事実上小笠原流系統をさす。武射系は戦場での実利[3]を重視して発展してきた射の系統を言い、事実上日置流系統をさす。本多流は、三十三間堂の通し矢を得意とした日置流の堂射系統が母体で、本来は礼射系で行っていた正面打起しを取り入た、武射系の流派である。

海外普及
弓道は『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル著)などの著作で精神性を重んじる面が取り上げられたことなどから外国人の関心を惹き、オリンピック種目でないにもかかわらず欧米各国中心に競技団体が設立され愛好されている。ただ最も盛んなドイツでもドイツ弓道連盟登録者数は約1,100人、他国連盟は多くても数百人である。2006年5月2日、弓道の普及と振興等を図るため国際弓道連盟が創設された。

歴史
弓術#歴史も参照

明治・大正
武士の表芸である弓術は時代の流れに伴い江戸末期から明治にかけて大きく変遷を強いられた。江戸末期の文久2年(1862年)、幕府での「弓術上覧の儀」が廃止され、講武所の教科目からも弓術が除外された。続く慶応3年(1867年)の大政奉還により伝統的な弓術文化は幕藩体制・武士社会の崩壊と共に大きく衰退を余儀なくされた。明治4年(1871年)には廃藩置県により藩校で行われていた武術教育も姿を消し、弓術に限らず武術全般で実用性が見いだされなくなり、武術衰退に拍車をかけた。明治維新以前は、弓を引くことは一部の例外を除いて武士階級のみが許されていたが、維新後は一般庶民でも弓が引けるようになり、急速に遊戯化・娯楽化が進んだ。

他方で既に遊興の道具としての弓矢は民衆の間で存在しており、盛り場での賭弓場が維新後の都市部で大流行した。賭弓場の多くは風俗営業であり、明治政府より規制を加えられるほど盛況になる等、明治初期には一般的に弓と言えば賭弓場を連想するほどに弓射文化は衰退していった。この様な世相に煽られ公的な弓道場が姿を消していく中、私設弓道場を開くなど弓術古来からの伝統を正しく引き継ごうとする真摯な弓術家 [4] の活動により、日本弓道の命脈・伝統文化は保たれていった。

明治中期に入ると初等教育の開始や徴兵制の徹底、日清・日露戦争での勝利等を背景に、愛国心の高まりと共に社会情勢は国家主義的思想が台頭した。国策により武道が利用されはじめ、国民は弓道を含めた各種武道・武士道の再認識・尊重をするようになった。このような社会風潮を受け明治28年(1895年)、京都在住の有識者により各種武道・武術を統括する団体として大日本武徳会が設立され、京都の平安神宮境内に建設された武徳殿を本部とした。弓術をはじめとする各武術は、技術を目的とした武術を改め大和心涵養を目的とした武道とし、大正8年(1920年)武術専門学校を武道専門学校と改称、時を同じく弓術も弓道と改称された。反面、遊興的に『中りさえすれば良い』とした衰退期の反動から『射型さえ良ければ中らなくても良い』とする風潮や、過度な精神偏重が広まるという側面もあった。

また、大正から昭和初期にかけて、本多利実とその弟子達によって行われていた正面打起しの射法が大流行した。後に利実の弟子達はこの射法をもって本多流を称した。

昭和初期・終戦
武徳会は事業の1つとして各武道の型統一を目指し、剣道では「大日本帝国剣道形[6]」、柔道は「大日本武徳会柔術形[7]」などが制定され、弓道もまた射型統一を行う事になる。昭和8年(1933年)5月に開催された全国範士・教士会からの要請を受け、同年9月、当時の武徳会会長 鈴木莊六によって全国から招集された著名弓道家 [8] により「弓道形調査委員会」を構成。武徳会弓道部長 跡部 定次郎が委員長となり、同年11月10日より京都・武徳殿で「統一射法」に向けて3日間にわたる議論が交わされることとなる。
オシロイ ガゼル ラッコ メント ハイジ 坊っちゃん 情報ロー リウム チェック ロビー のりくら サジー ブラスリ ヒーメン サルタ ビエン ルール ユーレ マドロス ビスチェ シャング クノッソス セルモーター バルセロナ ワードパワ リセッショ ギター ヒアリ アーユル 四季の月 ハウス シーズンズ ソング ソグド ファム 歌姫情報 ケロイ ギガス カップル ナビラム ナタデ トライ タキオ コップ すなごけ パフューマー スポンジ プレビ セレク ネフレ

初日は小笠原流を基本にした巻藁射礼、的前射礼、立射礼の3つの射礼が決定される。2日目は射法について審議されるが、「打起し(後述#射法八節)」の審議に入るとそれぞれ自己の流派射法から「正面打起し」と「斜面打起し」を主張し合い、互いに譲らず喧々囂々白熱した議論へと発展、その日は議論の決着を見ずに終了した。最終日、議論はほとんど決裂の様相を呈していたが、九州の祝部範士から出された妥協案「正面打起し・斜面打起しの中間的方法」を採用する事で一同は賛成を表明、これで一応の決定を得た。(以下当時の「中間的方法」)

弓構……正面にて取懸け、手の内をととのえ物見を定める。 打起……正面より徐々に弓を押し開きつつ左斜めに打上げる。

昭和9年(1934年)11月、これを持って「弓道要則」とし統一射法として正式に制定、武徳会は全国に普及、徹底させようとするも、この「中間的妥協案」には弓道界から賛否続出、雑誌・新聞紙上で大論争が展開され、ついには「鵺(ぬえ)的射法」と揶揄されるまでに至る。

昭和12年(1937年)日中戦争勃発、翌年の昭和13年(1938年)「国家総動員法」公布。武道は政府・武道団体幹部によって「国力増強・国威発揚」を狙って次第に政府管理下に組み込まれ始め、そして利用されてゆく。昭和16年(1941年)太平洋戦争勃発、同年政府機関による議論の末、厚生・文部・陸軍・海軍・内務の5省共管による政府の外郭団体とした新たな武道統括団体の新設、既存の武徳会はこれに包含される形でこの武道団体に改組・帰一される事となる。翌昭和17年(1942年)、既存の武徳会は改組され会長に東條英機内閣総理大臣、副会長に厚生・文部・陸軍・海軍・内務の各大臣と学識経験者1名をそれぞれ招き、理事長に民間人、各支部長には各地の知事をあて、本部は京都の武徳殿から東京の厚生省内に移転、こうして政府5省が共管する政府の外郭団体として新たな大日本武徳会が発足する。武徳会弓道部会長は宇野要三郎範士が就任、武徳会常務理事も兼務した。

武徳会成立の詳細な経緯は大日本武徳会#歴史参照

政府の外郭団体として再出発したことにより、武道は飛躍的に発展普及する。保存武道・無形文化財的扱いであった弓道も、満州国建国10周年を記念した「日満交歓武道大会」に選手団を新京へ派遣(昭和17年(1942年)7月)するなど積極的に活動を行う。昭和18年(1943年)3月、新武徳会は称号を範士・達士・錬士とし、段位を等位制に改め、初段を五等、二段を四等?五段を一等として、六段以上の段位を廃止。昭和19年(1944年)3月、新武徳会弓道部会長宇野要三郎範士が委員長となり「弓道教範制定委員会」を設け、「弓道教範」を作成。懸案事項であった打起しの形式は「弓道要則」を認めつつ従来の正面・斜面もそれぞれ認め、正面・斜面・弓道要則の3様式を採用した。巡回指導や移動審査の実施など活発に行動する反面、太平洋戦争の戦局が切迫するにつれ、政府は国民生活の全てを戦争遂行に結集すべく国民への武道の修練を強く奨励した。しかし、戦争末期には日本各地で連合国軍の空襲や艦砲射撃が苛烈を極め多くの弓道場が焼失、また、焼け残った弓道場も弓道以外の目的(倉庫・宿舎等)で使用されるなどして、弓道や武道を行う環境は極度に悪化した。その上、生活の困窮から弓に割く時間的・心理的余裕も無くなり、国民から弓道は遠ざかっていった。

終戦後、戦前〜戦中の国策とも言うべき武道励行に対する反動から、国民の武道に対する感情は非常に厳しいものとなる。